原子力空母への反応に見る【50年の日本人の変化】エンタープライズ→ロナルド・レーガン

 日本人は本来原子力空母の5日間の寄港だけでも大嫌い!

1968年1月29日から23日の5日間、アメリカの原子力空母エンタープライズが日本に初めて寄港した。

日本人は「動く核兵器」として、これに激しく反対、全国民が注目し、盛んに報道された。

京都大学名誉教授で第3代防衛大学校長の法学者、猪木正道(紫綬褒章・勲一等瑞宝章・文化功労者)は三島由紀夫との対談で、これを評し、

「米軍基地に突入していく学生の姿を見て日本人はまだ死んでいないことを知った」という手紙をもらったことに触れ、この動きは日本の「主権と独立の精神を発揮してみせたことでも、功績はあるかもしれない」と述べている。

非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)を国是とし、佐藤内閣(1964年~)以降の歴代の内閣総理大臣は施政方針演説等において、この三原則を遵守することを表明している。これは非自民首相であった細川護熙、羽田孜、村山富市も三原則の遵守を表明している。

独立国であり、主権者である国民が核を望まず、歴代内閣も非核三原則を国是としてきたなら、日本の領土内において国民の意思がまっとうされることは極めて当然のことである。

日本人は本来、原子力空母がわずか5日間日本に寄港するだけでも大規模に反対するほど大嫌いなのだ。

東日本大震災で原子力空母ロナルド・レーガンが被爆

2011年の東日本大震災では、三陸沖でアメリカの原子力空母ロナルド・レーガンが被爆し、157人の乗組員らが5500億円を要求し裁判を起こしている。


ニュースサイト『エコ・ウォッチ』のハーベイ・ワッサーマン氏によると、原子力空母ロナルド・レーガンでは、「金属の味」がする物質が飛行甲板上に雪のように降り積もったという。

可能な限り除染もされた。

ニュースサイト『インターナショナル・ポリシー・ダイジェスト』のペーター・リー氏によれば、2003年就航の新鋭艦だったレーガンは、高い放射線値のため除染も改修もできずサンディエゴに繋留され、廃艦となり深海に沈めて廃棄することもありえた。60億ドル(約6000億円)の同艦の喪失は、アメリカの国家覇権の観点からも問題視された。

高い放射線値のため除染も改修できない、原子力空母ロナルド・レーガンはその後、どうなったのか?

そのような高放射線の巨大な核汚染物をいつまでもアメリカ国内に繋留し続けておくことはできず、日本に配備することにした。

高い放射線で汚染さたロナルド・レーガンは横須賀に配備、安倍首相はこれを大歓迎

2015年10月1日、ロナルド・レーガンは横須賀に入港し、横須賀を母港にして日本に繋留されることになった。

2015年10月18日に日本の総理大臣、安倍晋三首相は現職の首相として初めてアメリカの空母の乗艦し、全国民を代表してロナルド・レーガンの横須賀配備を大歓迎している。

横浜市では死亡者数の著しい増加と出生数の著しい減少へ

横須賀の隣、横浜市では、2018年1月に発表された人口動態調査で、死亡数前年同月比300人増(3300→3600)、出生数159人減(2556→2397)、出生死亡比率が極端に低下している。

今からたった50年前の1968年、原子力空母がわずか5日間寄港しただけでも、全国民の注目を集め、幾多の報道が重ねられ、日本人は激しく反対した。

それが、50年後の2018年、こんな大事なことをどこも報道せず、誰も話題にせず、日本人は静かに死んでいっている。

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