ご質問をいただきました。
自転車で大分~広島ですか?相変わらずエネルギッシュですねっ!
昔は運動もアウトドアも嫌いだった私が、体を動かすことや自然の魅力に捕らわれたのも、榎本さんの影響あり、かもしれません。ジョギングも日常的になり、このGWには鞍馬山登山してきました。例の貴船に抜けるルートです。
最近の記事の中で、榎本さんの熱い想いである「思考は現実化する」「まず自分を大切にする」「みんな大元のところでつながっている」「因果応報」などの趣旨の文章をあらためて読みました。
また、先日、シャーリー・マクレーンのアウトオンアリムも読みました。30年以上前に世界中で大ベストセラーになった本です。世界的大女優が本を出して話題になった・・・程度の記憶はありましたが、当時の私はそんな精神世界には興味もなく、もちろん本を手にとることもありませんでした。
でも、知り合いの勧めで、精神世界に興味を持つ人なら必ず読んだほうがいい本だということで、アマゾンで注文して読んでみました。文章はともかくとして、書いてある内容が、榎本さんが言っていることとおんなじで!!!やっぱりなー、って思いましたよ。
30年前です!
でも仮に当時の私がその本を読んでいたとしても、深い理解はできなかっただろう、と思います。
今だからわかるし、もっと言えば、昨年の2月に榎本さんの文章に出会って雷に打たれたように覚醒したのも、ちょうど機が熟していたからだろう、と思います。
今でも私にとっての原点は榎本さんの文章です。
ところで、「すべてのことに偶然はありえない」と、榎本さんは思われますか?
シャーリーマクレーンも、以前にお話しした飯田史彦先生も、そう述べています。
自分の人生において、いいことも悪いことも、たとえ病気だろうが、事故だろうが、すべて必然で起きている、と。まあわかりやすく言えば、悪いことであっても、それは学びであったり、気づきのためのステップであったりする、ということですかね。
私はこれも、まさにそうに違いない、と実感し、それによってより前向きに建設的に生きられるようになっています。
ただ、ここでう~~ん、と考え込むのが、それでは「すべては必然」と「思考は現実化する」とは、どうやって共存するのだろうか?ということです。
人生すべて必然であるなら、いくら努力したって未来は変えられない、ということになりますよね?
前向きな思考をしようが、努力しようが、変わらないという屁理屈になりますよね?
でも、そうではないようなのです。
いい思考をして、よりよく行動して、自分も、そして自分を通して世界全体を(世界はワンネスですから)変えていかないといけない、ということらしいのです。
シャーリーマクレーンも飯田史彦も、この を唱えていますが、その共存関係について、私の頭ですっきり納得できる説明はありません。
この二つをどうやって、納得するといいでしょうか?
榎本さんは、どうお考えになりますか?
オスカル(2018年5月19日 18:50)
「すべては必然」と「思考の現実化」の関係
「すべては必然」と「思考の現実化」の関係ですね。
まずすべての理解の大元に宇宙創造の仕組みがあります。
こちらの記事から引用します。
それらは宇宙の創造の仕組みに由来します。
現在の科学ではビッグバンによってこの宇宙が形成されたとしていますが、ビッグバンが生じた原因があります。
私はビッグバン以前に生まれることもなく死ぬこともない永遠の意識体があったと考えています。
いわゆる「神」と呼ばれている存在ですね。
その神はある日「自らが存在すること」に気づきます。
そして、またある日「自らを経験すること」を望みます。
それが宇宙が拡大し始めた原因であると考えています。
宇宙は神の経験の場ですね。
まだビッグバンが起こる前、「一なる永遠の意識」はある日「私とは誰だろう?」
「私は自分を知りたい」そのためには「私は自分というものを経験したい」と思考したのではないかと思っています。
神が、「私は自分を知りたい」「私は自分というものを経験したい」と思うまで、宇宙には何も起こらなかったと思います。
ビッグバンによって宇宙が創造されたのはその思いが原因になっています。
ですから、「思考の現実化」したわけです。
さて、神なる意識が「私は自分を知りたい」「私は自分というものを経験したい」とある日思考しました。
そうすると、そのために必要なこと、経験の場である宇宙を創造することは「必然」なわけです。
これで、「思考の現実化」し、「すべては必然」であるということが両方成立します。
例えば、
そして神に似せて創造された私たちもまた、「思考の現実化」し、「すべては必然」です。
たとえば、「私はお金がない。私はお金がない。」と繰り返し、思考したとしますね。
その人が「お金がない。」という経験をするのは必然です。
誰かがある人に対してひどく怒ったり、恨んだりします。
その結果自分が誰かの怒りをかったり、恨まれたり、あるいは身体に何か異常が生じるのは必然です。
「思考の現実化」し、「すべては必然」です。
「何かについて必死に努力する」という「思考をすれば」、人生において「何かを必死に努力する」という経験をする
人生すべて必然であるなら、いくら努力したって未来は変えられない、ということになりますよね?
「何かについて必死に努力する」という「思考をすれば」、人生において「何かを必死に努力する」という経験をするでしょう。
それは「必然」ですよ!(笑)
肩の力を抜いて、人生の素晴らしいものであると思考すれば、その人の人生は素晴らしいものになるでしょう。
それもまた「必然」です。
何が起きても学びであったり、気づきのためのステップ
自分の人生において、いいことも悪いことも、たとえ病気だろうが、事故だろうが、すべて必然で起きている、と。まあわかりやすく言えば、悪いことであっても、それは学びであったり、気づきのためのステップであったりする、ということですかね。
もちろんそうです!
何か自分が不自然な思考をしてしまったわけです。
例えば、「人生は必死に努力して幸せになるものだと、焦って必死に努力したとします。」
そうするとその「焦り」という感情が、その人にとって焦燥感を生む事故とか病気とかを生み出すします。
「悪いこと」はありません。すべて気づき学ぶためのひとつの経験にすぎません。
私はこれも、まさにそうに違いない、と実感し、それによってより前向きに建設的に生きられるようになっています。
素晴らしいじゃないですか!
つまり、これを引き起こすのは自分が、無意識的にどんな思考を受け入れたことが原因なのかなと気づくことですね。
自分の思考を自分のハートの喜びに従って自由に変化させることができる人、それが自由な人
人生すべて必然であるなら、いくら努力したって未来は変えられない、ということになりますよね?
まったくなりません!
原因になっている思考は、この瞬間瞬間にも自分自身で選択できるからです!
そこに人間の自由、人間の栄光があるのです。
自由がない人というのは、何かに囚われて自分の思考を自分で変化されることができない人です。
そういう人こそが真の囚われ人。
因人ですよ。
自分の思考を自分のハートの喜びに従って自由に変化させることができる人、それが自由な人です。
前向きな思考をしようが、努力しようが、変わらないという屁理屈になりますよね?
でも、そうではないようなのです。
もちろんです!まったく、そうではありません。
宇宙創造の原理をみてください。
物理的現象の原因は思考にあるのです。
もちろん未来は変えられます。それでなければ自由意志が存在する意味がありません。
よく観察してください。人生が変化していない人は思考が変化していません
思考を変化させることにポイントがあるのです。
自分自身をどのように考えているかを変化させること。
自分自身の世界観の思考を変えること。
・・・・
そこに鍵があるのです。
よく、人は自分自身のことはわからないと言われます。
自分がどのように思考しているか多くの人が無意識になっています。
例えば、多くの高齢者が「毎日病気や薬の話をしています。」
そのことに何の疑問も抱かない。
もし、「毎日病気や薬の話し」をするならば、自分の身体は弱く、人間はどんどん病気になるものだという「思考」を毎日繰り返しているのです。
ですから、当然病気になります。
必然ですね。
しかし、ご本人は私は「病気になりたいなんて望んだことは一度もない!」と言うんですよ。
しかし、「毎日病気の話をしている。」(笑)
もう意識は完全に病気に焦点があっている。
だから病気になるのです。
しかし、難しいのは多くの人がそのことを無意識にやっているのです。
毎日友達が病気の話をするし、毎日テレビで病気の話をするからです。
多くの人が自分が毎日毎瞬、繰り返している思考に気づいていないし、それを変えようとも思っていません。
だから人生が何も変わらないのです。
その人の主要な思考が従来と大きく変化すれば、その人の人生は変化せざるをえません。
それは必然なんですよ。
よく観察してください。人生が変化していない人は思考が変化していません。
ちなみに「努力」というのは物理的世界であれこれ奮闘することです。
それは「思考」を変えることではありませんよ。
何がいいか悪いかは相対的なもので、この世に絶対的な尺度はありません
いい思考をして、よりよく行動して、自分も、そして自分を通して世界全体を(世界はワンネスですから)変えていかないといけない、ということらしいのです。
「いい思考」というのは私はよくわかりません。
何がいいか悪いかは相対的なもので、この世に絶対的な尺度はありません。
アインシュタイン以降、宇宙は相対的なものであり、絶対的な尺度はないというのははっきりしています。
「いい思考」というのは何か絶対的な良し悪しの尺度が前提になっていますからね。
「よりよい行動」も同様です。
それはアインシュタイン以前の、前近代的な思考です。
まず自立し、自分が自分を満たすことができるようになること
自分自身が幸せでないなら、全世界の面倒がどうしてみれるのですか!(笑)
全世界のことなど、ほっとくことです。
まず自分が二本の足で立ち上がって自立し、自分自身を幸せにすることです。
「人のせい」が一切ない自分の人生を自分で創造することです。
自分の人生のおいて「人のせい」がある人が、誰か身近な何人かに翻弄されている人が、どうして全世界のことが変えられるのでしょう。(笑)
まず少なくとも自分の現実から「人のせい」をなくし、自分で自分を満たすことができるようになることですね。
ひとり一人がそうすればいいのです。
そうして、ひとり一人が「人のせい」が一切なく、自分で自分を満たし誰にも依存することなく、喜びにあふれることができたら。
ほら、もうすでに全世界は幸せになっているのです!
だから、「人のせわ」などと難しいことを考えず「自分のせわ」に集中すればいいのです。
「思考が現実化」します。
自分の思考を変えられるのは自分だけなのです。
人の思考はその人にしか変えられません。
その人の人生はその人にまかせておくしかないのです。
「思考が現実化」するからですよ。
その共存関係について、私の頭ですっきり納得できる説明はありません。
この二つをどうやって、納得するといいでしょうか?
「すべては必然」と「思考は現実化する」は共存するどころか、不可分であることはお分かりいただけましたでしょうかね。
そして私は結構、「思考は現実化させて」人生を楽しんでいます。
先日も、自転車で、大分から広島、広島からとびしま海道を通って今治、道後温泉、内子を経由して大分に戻ってきたのです。
すると、
昔は運動もアウトドアも嫌いだった私が、体を動かすことや自然の魅力に捕らわれたのも、榎本さんの影響あり、かもしれません。ジョギングも日常的になり、このGWには鞍馬山登山してきました。
と、書かれているじゃないですか!
私は自分自身の人生に喜びを創造することを楽しんでいると、オスカルさんも体を動かすことや自然の魅力にとりつかれて今、大いに人生を楽しんでおられるわけです。
喜びが伝染したんですよ!(笑)
素晴らしい~
これが世界全体を幸せにする方法です。
だからごちゃごちゃ難しいこと考えずに、さっさと人生を楽しみなさい!(笑)
それが世界のためです!
「アウト・オン・ア・リム」懐かしいです。
私は1994年頃、東京で働いていた頃に、何がきっかけでこの本を買ったかは、忘れましたが、シリーズ3冊読んだ記憶があります。
引っ越しを繰り返すうちに処分して、今は手元にないのですが、なんだかとても気になり、買って読みました。
30代の仕事がとっても楽しいその時は、みえない世界の探求には至りませんでしたが、時代の流れと共にみえない世界に関心を持つようになりました。
今思い返せば、全て繋がっていて、今があるのだなと理解できています。
改めて読むと、あの頃は全く理解できてなかったなと思うとともに、本当に素晴らしい本だと思いました。
オスカルさま、ありがとうございます。
榎本先生、ありがとうございます。
神田孝子