【永続的に幸せになる方法】なぜ「人は自分から出たものを自分で受け取る」のか、その3つの仕組み

なぜ「人は自分から出たものを自分で受け取る」のかその仕組みについてご質問をいただきました。

出したものは出した人の所へリターンする・・・

その念という思いのスパイラルというか

なぜ人はそうなってしまうのか、

そんな仕組みというか体系的にお伺い出来ればと思います。

よろしくお願いします。 S(2018年5月18日 9:47)

それは、

・すべては「一なる意識」から生じている。

・思考は現実化する。

・類は友を呼ぶ(朱に交われば赤くなる)

という3つの仕組みから成り立っています。

存在するすべては永遠なる「一なる意識」に由来する

それらは宇宙の創造の仕組みに由来します。

現在の科学ではビッグバンによってこの宇宙が形成されたとしていますが、ビッグバンが生じた原因があります。

私はビッグバン以前に生まれることもなく死ぬこともない永遠の意識体があったと考えています。

いわゆる「神」と呼ばれている存在ですね。

その神はある日「自らが存在すること」に気づきます。

そして、またある日「自らを経験すること」を望みます。

それが宇宙が拡大し始めた原因であると考えています。

宇宙は神の経験の場ですね。

ですから存在のすべてはその原初から存在する永遠の「一なる意識」に由来します。

「神は神に似せて人間を創造された」

さて、今回はその原初から存在する永遠の「一なる意識」からどうやって宇宙が生成され、地球が生成され、人類が生成されたかは省略します。

しかし、

「魂はすべてつながっている」とか、

日本の古代神道でも「人の魂は神の分け御魂」であると言われています。

あるいは聖書においても、「神は神に似せて人間を創造された」とありますね。

神は万物を創造する創造力をもつ存在であり、その同じ創造力を人間は持っています。

それが「思考が現実化」するという仕組みです。

つまり人間も、万物を創造した神と呼ばれる「一なる意識」の一部であり、神は自らを経験するために宇宙を創造しましたが、人間も自らの思考によって、「思考が現実化」し、自分の人生を経験し続けている存在なのです。

神と人間は似ていますね(笑)

神は、大宇宙を創造し続けていますが、人間は自らの人生という小宇宙を創造し続け、それを自ら経験し続けている存在です。

それが「出したものは出した人の所へリターンする」「自ら出た思考を自ら経験する」基本的仕組みです。

神が自らを経験するために宇宙を創造し、人間も神の一部であり、人間の本質が神の分け御魂であるなら、人は自らの人生を自ら思考することによって創造し続けている存在だからです。

それは宇宙がそのような存在であり、人間が宇宙を創造した神の一部であるなら、それは人間の持つ基本的性質となるのは必然です。

なぜ人生がままならない人がいるのか

なぜ人生がままならない人がいるのか。

簡単に言えばネガティブな集合意識を無意識に自らの思考として受け入れているからです。

多くの人は「思考が現実化」することを知りませんし、聞いたことがあっても自らの人生で意識的に実践していません。

先日、あるところで食事をしていると、夫婦と子供一人の家族が隣で食事をしていました。

そしてお父さんが次のように言っているのを聞きました。

「うちは金がないからな・・・

そういうことは無理だ。

貧乏だから・・・うんぬん」

私は思わず、そのお父さんの方を見てしまいました。

そういうことを口にしてしまえば、自分の人生でそれを経験することになるからです。

ですから私は決してそういうことを口にしません。

あまりに簡単に何度もそういうことを繰り返すので、私はびっくりして「えっ」と思わず見てしまいました(笑)

そのご家族はごく普通で、一見そんなに貧しい風には見えませんでしたが、その意識はその家族の思考の端々に出てくるはずです。

例えば私は2年前にバリ島を自転車で一周しましたが、往復の飛行機代は3万6千円。

片道1万8千円程度です。

大分から京都に遊びに行く程度です。

しかも京都の滞在費よりもバリ島の方がはるかに安いです。

しかし「うちはお金がない」「海外旅行は高い」という思考、先入観を持っていたら、そのご家族が人生でこういう海外旅行を経験することはないのです。

その人の思考・意識がはなからその選択肢を自分の人生から排除するんですよ。

ですから、「うちはお金がない」とか「貧乏だから」などということは私は口が裂けても言いません。思ってもいけません。

なぜなら、口にせずとも思考しただけでその現実を人生で経験することなるからです。

私は「なんてことを口にするんだろう!」と思って「ぎょっとして」そのお父さんの方を見たわけです。

そういうことを口にするお父さんはもちろん、子供にもそういう意識を植え付けていきます。

「お金がないから〇〇できない」という意識です。

これがそのご両親はもちろん、その子供の人生をどれだけ制限したものにするかということに対してあまりにも無意識なのです。

ままならない人生というのはこのように作られていきます。

私は子供の頃はおこずかいが少なく、山で秘密基地を作って遊んだり、海でイカダを作って漕ぎ出して遊んだりしていましたから、「お金がなくても楽しめることはたくさんある」と知っていいます。

「〇〇だから〇〇できない」という発想をしません。

ですから、先日も大分から自転車で広島まで行きましたがクラス会でそこのことを話すとみんなすごくびっくりします(笑)

そもそもそういう多くの人に「自転車で大分から広島に行く」という発想がないのです。

私にしてみれば新緑の海沿いを気持ちよく運動して、おいしいものを食べて、しかも安上がりで、体重も落ちてこんなにいいことはないと思うわけです。実際にそうです。また行きたいです!(笑)

「お金がないから〇〇できない」

「時間がないから〇〇できない」

「忙しいから〇〇できない」という思考がどれだけ人生の選択肢を狭めていることか。

それは恐ろしいほどです。

お父さんやお母さんが空気のようにそういう会話をしていると、当然子供にもそれが刷り込まれてしまうのです。

ですから、親の制限された思考が、子供の人生の可能性も制限してしまうのです。

それも無意識にです。

それがままらない人生が作られる仕組みです。

「お金がないから〇〇できない」という思考が人生の発想の原点にあるのと、

「お金がなくても楽しめることはたくさんある」という思考が人生の発想のあるのとで、人生にどれほどの違いが生じるか考えて見てください。

お金というのは日本ではせいぜい明治に入ってから広く普及した人為制度です。決して根源的神の創造物ではなく、必須のものでもありません。

一旦無意識となった自らの思考から脱することは極めて難しい

私は普段から

「お金がないから〇〇できない」

「時間がないから〇〇できない」

「忙しいから〇〇できない」

「〇〇歳になったら体が悪くなって当然だ」

・・・・

などという制限的な思考をもつ人たちの会話にはできるだけ加わらないようにしています。

あまりに長くそういう会話を聞いていると自分も「制限」を受け入れてしまうからです。

「朱に交われば赤くなる」からです。

家族や、友人、クラスメイト、テレビなどのマスメディア・・・でそういう制限的な思考をしている人は非常に多いのです。そういうのを見たり聞いたりしていると、自然に「朱に交われば赤くなり」無意識に自らの現実としてそれを受け入れます。

ネガティブでもポジティブでも集合意識は、外部から眺めるとよく気づくことができますが、一旦その中にどっぷりつかり、それが自分の無意識の思考になると、その無意識の思考によって、制限的な人生を自ら創造し、経験しますから、「それが事実だ」という経験を数多く持ち、納得するため、そこから脱することが極めて難しくなるのです。

類は友を呼ぶ(朱に交われば赤くなる)

そのようにして思考は現実化します。

そして宇宙には似た性質ものもは互いに集まる性質があります。

例えば水は一か所に集まりますよね。

同じ種類の樹や動物も一定の場所に集まります。

ですから自分がネガティブであれポジティブであれ一定の思考をすればするほど、それに類する経験や人々、物事を自分に引き寄せることになるのです。

そしてますますその思考は強化されるのです。

人に対するネガティブな思考は主に3つの理解不足から生じる

宇宙の基本理解があれば、とても恐ろしくて

「お金がないから〇〇できない」

「時間がないから〇〇できない」

「忙しいから〇〇できない」

「〇〇歳になったら体が悪くなって当然だ」

・・・・

などというネガティブな思考は決してできません。

人を恨むとか、人に怒りを向けるとか、人を裁き、批判することも決してできません。

それは相手の問題ではなく、その念を発した人のところに戻ってくるからです。

それはこれまで見てきたように宇宙の法則です。

なぜそういう恐ろしいことができるかというと、単に3つのことに対する理解不足からです。

1、(どのようなものでも)「思考が(自分の人生で)現実化」することを理解していない。

2、類は友を呼ぶ(朱に交われば赤くなる)こと。つまり自分が思考することと同じ性質をもつものをどんどん自分に引き寄せることを理解していない。

3、すべてが「一なる意識」から創造されたことを理解していない。

つまり、すべては本当は一体であり、相手に向けられた思考はネガティブなものであれ、ポジティブなものであれすべて自分の戻ります。それは「すべて一体」だからです。

「人を呪わば穴二つ」(人を呪うと相手と自分に墓穴を掘る)とか

「天に唾する行為」(上に向かって唾を吐けば自分にかかる)

とはすべてこのことを現しているのです。

この理解から導かれる人生訓

この理解から導かれる人生訓は、

・自ら「決して制限的な思考をしない」ということです。

それは自分の可能性を自ら制限する行為です。

・自ら「決して人を批判したり裁いたりしない」ということです。

人を裁き、批判することは、自ら裁かれ批判されることです。

制限的な思考に対処する方法

しかし、人生にはこのような事実に対する無理解から、制限的な思考をしている人が数多くいるのはご存知の通りです。

「人と人は分離している」と肉体意識だけの認識を持つ人は非常に多いですが、そういう肉体意識だけのから発想する人は、人と人はお互いに分離しており、自分と相手は別であり、相手を批判したり裁いたりしてもそれは相手のことであり、自分には関係ないと思っています。

しかし、それは大きな誤認なのです。

その誤認から、自分の人生に制限を起こし、人とトラブルを起こし、孤独になり、ストレスから身体のトラブルを生じたりしています。

それは元をただせばすべて「人と人は分離している」という肉体意識だけの誤った認識から生じています。

人間の本質は永遠の魂であり、みな「一なる意識」から生まれ一体であると気づいていないことから生じます。

しかし先ほども述べたように、「思考は現実化」しますから、そのような誤認に基づく制限された思考であろうとその人の人生においてそれが現実化し、その人は自分の人生観は正しいという認識を持ちます。そうなるとその人を説得するのは極めて難しくなります。

そこから脱することを「気づき」と言います。

人はいずれどのような現実でも「幸せを感じられない現実」にやがてうんざりし、「どうしたら幸せになれるんだろう?」と疑問を持ちます。

その時には「新しい気づき」を受け入れる可能性がありますが、それまでは極めて難しいのが現実です。

ですから、「制限的な思考に対処する方法」は

その人の自らの制限的な思考によって、こちらにネガティブな裁きや批判をする人がいるかもしれませんが、

・「それはその人の思考であり、その結果はすべてその人に戻るものです。」

自分がそれに同調して「怒り・悲しみ・憤り・・・」などと感情で応じれば、その自らの思考による結果が自分の人生に戻ってきます。

ですから、ネガティブな「制限的な思考に対処する方法」は「みんなちがってみんないい」とその人が今どのような思考を選択していようと、それはそれで尊重し、自分はそのネガティブさに巻き込まれないことなのです。

ですから、その人の前から「静かに立ち去る」というのが最善の方法なのです。

「静かに立ち去る」というのは物理的に立ち去るだけではありません。

思考的にも静かに立ち去る

「思考的にも静かに立ち去ります」

思考的に静かに立ち去るとは、もうその人のことやその人の言うことを「思考しない」ということです。

自分自身の思考の現実からきれいさっぱり落としてしまうということです。

頭の中にその人は存在しないということです。

たとえ物理的に立ち去っても、腹の中に怒りを抱えていたり、思い出しては悲しんだり、憤ったり、不安をもっていたなら、あなたはその人やその人の思考に「巻き込まれて」います。

時には理不尽に感じてなかなか許せない時もあるかもしれません。

しかしその時は、「出したものは出した人の所へリターンする」ということを思い出すことです。

もしその人が批判し裁いたらなら、やがてその人は自らの思考によって自ら批判され裁かれることになります。

ですから、何も気にする必要はないのです。

思考によって自分の現実を創造するのは宇宙の法則です。

もし誰かがあなたにひどいことをしたなら「出したものは出した人の所へリターンする」ということを思い出し、「彼らは何をしているのか知らないのです」というイエスの言葉を思い出すことです。

自分は自分の喜びを感じることを思考する

そして、思考的にも完全に手放し、自分は自分の喜びを感じることを思考します。

いつもその切り替えを意識的に行えば、あなたの意識は喜びに向かって拡大し、それに伴い自分が自分に許す喜びの可能性もどんどん拡大します。

そして、自分の「思考の現実化」による喜びの人生を謳歌するようになります。

その鍵は、ネガティブな思考より、喜びの思考の量を多くすることです。

「思考は現実化」するのですから、そうやって自らの思考を自らの喜びに合わせていけば、

「喜びの人生を創造せざるを得ない」のです。

それは宇宙の法則です。

いいことも悪い事も考えたことは現実化します。

それが例え相手のことであっても、すべては「一なる意識」から生じていますから、

「本当は相手などいない」のです。

ですから「誰かが自分に悪い事をした」と思うのなら、いち早く相手の前から「静かに立ち去り」

その人が自分の道を歩むことを「みんなちがってみんないい」と尊重し、

自分が喜びの道を歩むこともまた「みんなちがってみんないい」と尊重します。

この人のネガティブさを受けて自分もネガティブな思考をしてしまい、自らの人生にネガティブなものを創造するのは、人が不幸になる主要な原因のひとつです。

要するにネガティブな人のことは一切かまわず、自分の喜びに思考を調節する

要するにネガティブな人のことは一切かまわず、自分の喜びに思考を調節することが幸せな人生を生きるコツのすべてなのです。

実に簡単ですね!(笑)

それは、

・すべては「一なる意識」から生じている。

・思考は現実化する。

・類は友を呼ぶ(朱に交われば赤くなる)

という3つの仕組みを知っていれば、必然的な選択です。

これ以外に永続的に幸せになる方法があるなら私が知りたいです(笑)

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