人間関係のトラブルを防ぐポイントは、 自分の自由意志を大切にし、 相手の自由意志も大切にすること。

人間関係のトラブルを防ぐポイントは、
自分の自由意志を大切にする。
相手の自由意志も大切にする。
だからケンカしない、ならない。
しかし自分が侵害された場合は、されたままにならない。
というものです。

安らぎ落ち着き幸せな気持ちになるもの
に基ずいて行動することが真実に繋がるということですが、
子供の繋がりで表面上のお付き合いをした方がおりましたが、ある時、とても我慢出来ないような乱暴な言葉をぶつけられたので、
学力の無い頭をフル回転し、なるべく失礼のないようにそれを伝えたつもりでいましたが、
逆鱗に触れたようで怒りの返事が届きトラブルになりました。
きっと相手の方にどう伝えても、意見を受け入れなかった、それだけで恐らく逆鱗に触れていたとは思うのですが。

子供や地域の関係でうまくやらねばと思っておりましたが、
真の部分で拒絶をしていたのでしょうか、
今は心は何か安らぎ落ち着いています。
ほっとした所も正直ありました。

ただ、トラブルを起こしてしまったこと、
言いたい事をいつものようにグッと堪えて大人な対応をしていればトラブルは回避できたろうにとも思うので
トラブルをわざわざ起こした、そういった意味では幸せな気持ちには至りませんでしたが、
これも真実に入るのでしょうか……Tさま(2016年11月16日 17:03)

まずですね。

どのような経験にも間違いというものはありません。

ただそのような経験をしたということです。

でより、幸せになれる方向は何かということですね。

幸せは人それぞれですから、自分なりの幸せでいいのです。

自分なりの幸せがいいのです。

もし自分がそのことを伝えなければ気がすまないと思えば伝えればいいのです。

それを伝えることに関心がなければ、伝えなければいいのです。

さて、私に関して言えば、人が何をしようが何を言おうが基本的に気にしません。

それぞれの自由意志を尊重します。

その人の今のあり方ですね。

以前学校でお母さん方が、学校にクレームをつけて校長先生を退任に追い込んだこともありました。

ただその人なりにやっているという場合には私は気にしません。完璧な人なんていませんから。

ただ自分の方に利益を誘導しようとして、他の人が割りを食う場合、自分も含めてですが、そんなのを「いいですよ」とばかり言ってたら、割を食ってしまいます。

自分が侵害されるんですね。

私はどちらかというと割を食うほうです(笑)

あまり「NO」と言わないので、しかしそうすると人の何倍もの仕事をすることになってしまったことあります。

まぁですから、自分が利用されそうな時はしっかり「NO」と言わなければいけません。

つぶれてしまいます。

ただそういうマイナスも含め引き受けて、大きなブレイクスルーにつながることもあります。

最終的には人生というものはバランスするようにできているものです。

あの時の経験がこんなことで生きてきた!みたいなことですね。

最終的にすべては均衡するというのは信じていいです。

さて、私はといえば、「その人なりのありかたを尊重する」ので、言いたいことをこらえるのではなく、「言いたいことは何もない」んですね。ですから何もがまんしていません。

だから私は昔から基本人間関係にほぼトラブルがありません。

気に入らない人はいないんですよ。

嫌いな人はいません。

私はどんな人であれ、その人のあり方を尊重するので。

ただ一方的にこちらが侵害されたときは「NO」といいますし、そう言う時は、まれには激怒することもあります。

お互いに自由意志を尊重するというのは宇宙の大原則ですからね。

それを踏みにじられたらなされるままになっていてはいけません。

その人とつきあうことをやめるということも含めて、自分が利用され、侵害され、踏みにじられるのを許してはいけません。

そういうのは自分を大切にしているとはいえません。

自分に対する虐待を甘受してはいけません。

だから「国民の生活が大事なんて間違っている。」なんていう政治家がいるとこらぁ!と思っちゃうんですよ。

だって税金は私たちのお金ですよ。

私たちのために使うのはあたりまえじゃないですか。

国民を利用し、虐待してるんですよ。

そういう時は、こらぁ!と思っちゃうんですね。

例えば、うちはワクチンを打たない人なのですが、学校ではもうものすごく勧めてくるわけです。

先生達も「文科省から通達」が来てそれに従ってるだけで、ケンカしてもしかたがなんですよ。

しかしワクチンは日本の法律では任意ですからね。

たから、理由をつけて「打ったことにする」ことはありましたね。いろいろ言うのがめんどうで。

もちろんそれによる不利益がでれば親である私が責任をとります。

しかし、一度も不利益をこうむったことはないんですよ。

うちの子はほぼ皆勤するくらい元気がいいですからね。

実際ワクチンを打った人の中から多数の不利益をこうむった人が出ています。

自分の家族は自分で守るしかありません。

たとえ先生でもただ単に勧められるまま受け入れていれば、取り返しのつかないことになる場合もあるのです。

かと言って先生も悪気があるわけじゃないんですよ。

ただ言われたことをやっているだけです。

それが仕事ですから。

だからケンカしてもしかたがないんですよ。

打たないのに、ケンカせずにすむ知恵を働かすんですね(笑)

ただ子どもはきちんと説明しますよ。

実際ワクチンというもはこういうもので、先生の仕事というのはこういうものだということですね。だからこういうことにしようと。子どもはわかりますよ。

まぁこれは一例ですが、ケンカする労力がもったいないんです。

私はその人が自分の人生に対して、自分の自由意志を行使していることに対して何も文句はないんです。

ただこちらも自由意志を侵害しないで欲しいというだけなんです。

それだけす。

自由意志は宇宙の大原則ですからね。

それだけは大切にします。

あとはまぁ、どうでもいいんですね(笑)

例えば、誰かが私をバカにしたとしますよね。まぁ嫌ですよ。

でもしょうがないんですよ。

言わせておけばいいんです。

ケンカしてもしかたありません。

そして勝手なことを決めつける人から静かに去ればいいんです。

特に嫌うこともないんです。

その人と私の価値観は違うだけですから。

ちなみに、自分を愚かだとか、バカだとか、無能だとか、そんなことを感じさせる人の近くにいるべきじゃないですよ。

人は誰もが無限の可能性を持っています。

その無限の可能性を見ない人は、「真実を見ていません」。

そういう人の言うことは気にする必要はないし、静かに去ればいいのです。

だから親は子どもの無限の可能性を見なければいけません。

たとえ誰が何と言おうと親だけは子どもの無限の可能性をみなければいけません。

なのに親が子どもにバカだアホだ、つまらんという人がいるんですよ。

もうやりきれませんけどね。

子どもは子どもで、それをバネにして跳ね返すしかありません。

子供であっても、親のそんな意見を絶対に聞くべきではありません。

もし親がバカ、アホ呼ばわりするならば、「それでも僕には無限の可能性がある」と自分で自分を鼓舞し続けるしかありません。

親がそういうなら言わせておけばいいんです。

「でも僕は違う」と腹の中で思っておくんです。

私はそんな子ども達の応援団長なんですよ!

そんなことを真にうけちゃいかん!

きみには無限の可能性がある!

もし親がそういうなら、その親もそうやって育てられたから、それしか方法を知らないからです。どの親も完璧な親はいないのだから、そういうを親を理解し許すほど、強くならないといけません。

そうして、初めて自分の子どもには同じことをしない親になれるのです。

大きく前進したのです。

自分を侵害する人は親であっても「それは違う!」と思うべきです。

それが幸せな次世代をもたらす原動力です。

もしかしたら、子どもは小さくて大人には何も言えないかもしれません。

それでも、「それは違う!」と心密かに思っておきます。

そうやって自分自身を守り抜かないといけません。

「親の言うことが聞けんのかっ!」

そういう場合もあります。

親は神ではないからです。

親は絶対ではないんですよ。

その当たり前のことを子どもは早く見抜いたらいいです。

親や先生も間違うということを知っておかないといけません。

そして大人になったら、その親の有限さも含めて認めて許し愛します。

みんな発展途上だからなぁ。

うちの親がそうであるのは当然だよな。

でも育ててもらって、ありがたいこっちゃということですね。

もうね。

親より大きな存在に成長したのですよ。

相手の過ちも含めて受けれ、愛せる人がより大きな人です。

大人なんですよ。

その子は親より大人です。

しかし、自分を守り抜かないと愛せないんですよ。

虐待されっぱなしだと恨みだけが残ります。

許せないんですよ。

だから親を許すために、絶対に自分を守りぬく強さが必要なのです。

そうしないと愛せないのです。

有限な親をも愛せる状態が、より幸せな状態です。

それは子どもであっても、親から自分を守り抜くことから生まれるのです。

それが本当に親との幸福な関係につながります。

時には親のある種の言葉を受け入れないことが、親との幸福な関係につながるのです。

最終的に「安らぎ落ち着き幸せな気持ちになるもの」を選んでいきます。

それは今「親の間違った言葉」を受け入れないことかもしれません。

そんなこともあります。

いつも何でも受け入れる事なかれ主義が、必ずしも「安らぎ落ち着き幸せな気持ちになるもの」ではないということですね。

真実でないことに「NO」という強さはいつでも必要です。

たとえ子どもであってもです。

まぁごちゃごちゃ書きましたけどね。

要するに、

自分の自由意志を大切にする。
相手の自由意志も大切にする。
だからケンカしない、ならない。
しかし自分が侵害された場合は、されたままにならない。

たったこれだけのことです。

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