神さまにあいたいですか?
神さまにあう方法をお教えします!
目を閉じてください。
何が感じられますか?
眼の疲れですか?(笑)
近くにいる家族の気配ですか?
家の外を走る車の音でしょうか?
遠くを走る列車のリズムでしょうか?
先ほど見た月に思いをはせたでしょうか。
私たちの意識はどこまでも広がっていますね!
それが神です!
おめでとうございます!
神さまにあえました!
ビッグバンの前、まだ宇宙がなかったころ。
意識だけがありました。
今目を閉じるとどこまでも広がったわたしたちと同じ意識です。
意識には何の不足もなく、静かで平和に満ちています。無限に広がっています。
時間はありません。「いま」しかありません。
目を閉じて周囲に気づいているとき、考えごとをしていないとき、時間というのは「いま」しかないのです。
永遠の「いま」に無限の広がりで存在し続ける意識。
それが神です。
それが私たちにもあります。
それがわたしたちが決して失うことのない永遠の魂です。
臨死体験において、病室の上から自分の身体と嘆く家族を見続けている、わたしたちの本質です。
禅や瞑想というのは、それを見つけようとするひとつの方法ですね。
神はそのままで何の不足もなく満ち足りていましたが、意識以外に何もなかったため、自らを「経験」することができませんでした。
ちょうど目を閉じていて、何の不足もないけれど何の音も何の気配もない世界です。
ただ自分の意識だけがある世界です。
ここで神なる意識はいいことを思いつきました!自分の意識を小さく分け、そのひとつひとつに自由意志と創造力を与え、自由に創造させ、自ら経験することによって自らを「体験的に知りたい」と思いました。
その素晴らしい思いつきに、歓喜した意識は、その喜びを爆発させ、ビッグバンを起こして現在も素晴らしい宇宙を創造しつづけています。
ビッグバンと同時に、神が自らを経験するための時間と空間が創造されました。
宇宙は「時」を刻み始めたのです。
さて宇宙の時は進み、現在の地球です。
わたしたちです。
わたしたちはあまりにも長く、人間という素晴らしい創造物に転生し続け、人間という遊びに夢中になりすぎて、自らが神なる意識の分霊であることをすっ忘れてしまいました。宇宙には神なる意識以外の原料は一切存在しないにもかかわらずです。
しかし、神なる意識は、遊びほうけるわたしたちが、自らの本質を決して忘れ去ってしまわないように、いつかはホームに帰ってくるように偉大な仕組みをすべての存在に授けました。
それが「愛」です。
あの巨万の富をつくり、世界最大の会社のオーナー社長であったスティーブ・ジョブスが、
あのすべてを手に入れた男が、死に際して最後に「今やっと理解したことがある。私が持っていけるものは、愛情にあふれた思い出だけだ。」「これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、」「あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。」と述べたものです。
死に際して、何が一番大切だったのか。
愛しかなかった。
神は常にそのフィーリングをわたしたちに与え続け、決してわたしたちが永遠に道に迷ってしまうことがないようにしてくださっているのです。
ふとした時、死に際して、わたしたちが最も大切だと感じるもの、そのフィーリングこそ、神がわたしたちに与えてくれた、決して永遠に道に迷ってしまわないようにしてくれた最大の贈り物であり、羅針盤です。
愛とはなんでしょうか?
お互いのつながりを思い出すことです。
この宇宙において、神以外の原料でできているものなど何もなかった。
私も神の一部であり、あの人も神の一部であった、すべての人が神の一部であった。
すべての海や山々、川も風も、木々も動物も、貝も魚もすべて神の一部であったと思い出すことです。
自分は神聖であり、すべて人、すべての存在は神聖であったと気づくことです。
お互いが、神なるホームを目指して旅を続ける旅びとであったと気づくことです。
すべての人がです。
すべての存在がです。
だって、この宇宙に神以外の原料はひとつもないのですから!
わたしたちが自らの神聖を忘れ、どんなに遠くで遊びほうけていても、どうやったらホームに帰ることができるのか、それを指し示す羅針盤、すべての人の内にあって決して消し去ることのできないもの、それが愛です。
わたしは10年にわたる遠隔浄化の経験で、すべての不幸や悲劇と呼ばれるものが、すべて自らの「ハートの喜び」に従っていないことから生じていること気づきました。
ですから遠隔浄化とともに自らの「ハートの喜び」に従うようにアドバイスすることが、最善の解決法であることを発見したのです。
そしてすべての不幸や悲劇の源は自らの「ハートの喜び」に従うことを邪魔する「考え」にあることを発見しました。
愛がすべてを癒すというのは本当です。
それこそが、わたしたちの本質であるホームを指し示し続けているからです。
「ハートの喜び」こそが羅針盤なのです。
ですから、わたしたちは人生のすべてのことに関わらず、「今やっと理解したことがある。私が持っていけるものは、愛情にあふれた思い出だけだ。」「これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、」「あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。」と感じるフィーリングを決して失うことがないのです。
それだけは忘れないのです。
愛とはなんでしょうか?
お互いのつながりを思い出すことです。
わたしたちの人生において恋愛が最も素晴らしい経験であるのはそのためです。
お互いの瞳を見つめて恋に落ち、キスをし、熱い情熱のなかで一体化を経験する。
深いエクスタシーのなかでわたしたちはすべてを忘れて一体となります。
素晴らしい経験です!
恋に落ちると、人生の景色が一変します。
昨日までと同じ部屋、同じ電車、同じ街に住んでいても、景色は一変します!
すべては同じはずなのに「春色の汽車」に変わってしまう。
これが神なる経験です。
神は恋するふたりに、すべてをバラ色に変える魔法をかけるのです。
お互いのつながりを思い出したのです。
恋するふたりは、そのあふれる「ハートの喜び」を感じながら、黙って海辺を歩きます。
そのあふれる「ハートの喜び」を表現する言葉が見つからなからです。
その五感を越えた喜び。
手にしかつないでいないのに、とめどなくあふれる「ハートの喜び」。
それをただ感じていたくて、広い海辺を歩きます。
あふれる「ハートの喜び」にはなぜか、海辺がよく似合う。
その無限に広がるフィーリングが、ふたりのあふれる「ハートの喜び」にふさわしいと感じるからです。
今ふたりは、そうとは気づかず「神を感じているのです」
その言葉で表現できないあふれる「ハートの喜び」、海のような広大な無限さ、美しい恋愛はふたりに神を経験させてくれます。
それが「お互いのつながりを思い出した」ふたりへの神の最高のプレゼントなのです。
いまふたりは手をつないで海辺を歩いています。
時には手を離して、走りだしたり、はしゃいだりしたくなります。
貝殻を拾ったり、石を海に投げたりするかもしれません。
手はつないでいなくても、あふれる「ハートの喜び」はそのままです。
ふたりがあまり言葉をかわさないのは、このあふれる「ハートの喜び」を表現する言葉が見つからないからです。
「愛している」などという言葉は、実に嘘っぽく、陳腐だと感じます。
そんなつまらないことを言う必要はまったくありません。
お互いのあふれる「ハートの喜び」がここにあるのですから!
だからほんとうの恋をしている恋人たちは、会話が少なくなるのです。
「ハートの喜び」こそが魂の会話だからです。
もうありきたりの言葉で会話する必要性が感じられないのです。
そのあふれる「ハートの喜び」は、手をつないでなくても感じられます。
海辺のデートが終わって、駅で別れて家路についても続きます。
自分の部屋でもずっと続きます。
ふとメールを出すと「わたしもあなたのことを考えていたの」と返事がきます。
この「見えないつながり」を経験する恋人たち。
これがテレパシー(telepathy)です。
テレパシーとは「相手の心情などを五官によらないで感じとること。」です。
telは離れている、pathyはempathy(共感)です。
離れて共に感じていることが、テレパシー(telepathy)です。
これは別に恋人同士だけとは限りません。
親子でもよく起こります。
虫の知らせというやつですね。
ぱっと思い浮かべるだけで、相手を感じることができます。
いわゆる親友でこれを感じる人もいるでしょう。
植物でも、愛情を持って育てられるとすくすく育ちます。
「奇跡のりんご」の木村秋則さんの言葉です。
「私はりんごを育てているんじゃないんです。りんごを育てるのはりんごの木で私はそのお手伝いをしているだけです」
「私は700本のりんごの木1本1本に必ず声をかけます。『ことしも頑張っていこう』『病害虫に負けないようにしよう』病気の木には『何をしたらいい?』収穫時には『ありがとう』12月には『ごくろうさん。1年間よう頑張ってくれた』」
多くの農家がこれと同じことを感じておられます。
植物を育てたことがある人はご存知です。
モノもそうです。
ペットの関係で同じことを感じるひとは多いのです。
名前をつけ、愛着と愛情をもって乗られている車は長持ちすることが知られています。
うちの車は16万キロ16年目ですけども、絶好調です!^^
子育てはもちろんそうですね!
この宇宙はすべて神だけの原料でできており、すべてがひとつにつながっています。
それをつなげているものが「愛」と呼ばれるものです。
イエスは、「神は愛である」と言われました。
素晴らしい!
名言です!
これ以上の言葉は思いつかない!
愛とはお互いのつながりを思い出すことです。
本来わたしたちは、すべてと一体であったと。
そのお互いのつながりを思い出すこととき、
異性との関係において、
親子関係において、
植物との関係において、
動物との関係において、
モノのと関係において、
あらゆる関係において素晴らしい効果を発揮します。
すべては神でできているのですから、すべてに愛が作用するのは当たり前のことです。
あなたのハートの喜びに従うことです。
あなたが一番夢中になることは何でしょう?
美しい恋愛ですか? あなたはその恋のなかで神を経験するでしょう。
子育てに夢中ですか? あなたは子供は自ら育つ驚異に神性を見るでしょう。
あなたは植物に夢中ですか? あなたはりんごを育てることで神性を経験するでしょう。
あなたは車に夢中ですか? その車いじりの情熱のなかに神性を感じるでしょう。
わたしですか?
わたしは遠隔浄化を通じて、ご縁のあるすべての人と見えないお互いのつながりを思い出すことを通じて、神性を感じています。
この世のすべては神でできており、あらゆるものに対して「ハートの喜び」を追求するならば、自らの「ハートの喜び」を表現するならば、すべての道は神に通じます。
あなたは自分の「ハートの喜び」にさえ従えば、永遠の魂の旅路において、決して迷うことなく、必ずホームに戻れるようになっているのです。
それが神の愛です。
でもね。
ほんとうはすべてが神ですからね。
じつはいまここがホームなんですよ!
あなたは神に囲まれています。
だって、この宇宙に神以外の原料はないのですから!
あなたがいまここで、「ハートの喜び」に従って、お互いのつながりを思い出すとき、
そうだ!
すべてはつながっていた!
わたしが勝手に切れていると思い込んでいた。
だから、「切れている現実」を創造し続けてきた。
でも、ほんとうは何も切れてなかった。
この宇宙に神以外の原料でできているものなど、何もなかった!
わたしたちが「ハートの喜び」に従って、お互いのつながりを思い出すとき、いまここでわたしたちは神の王国を創造しはじめるのです。
「神の王国はあなたがたの中にある」(イエス)。
神の王国はわたしたちの中にあり、それはわたしたちが「ハートの喜び」に従うことで、お互いのつながりを思い出すことを通じて、いまここに創造されるのです。
それが神にあう方法です。
それが神の永遠の約束です。
それがスティーブ・ジョブスが死に際して理解したことです。
「今やっと理解したことがある。私が持っていけるものは、愛情にあふれた思い出だけだ。」
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、
あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるもの。」
わたしたちにとって、これ以上に大切なもなど何もないのです。