ご質問をいただきました。
> 榎本先生、現在私が働いている会社では年始に神社で安全のお祓いをしてもらいます。
> 私は神社のお祓いに頼るつもりはありません。前回までは、会社のお付き合いで仕方がないので形式だけはしていました。
> 良い方法があれば、教えてください。
ぜんぜん関係ないですよ!
神様は外形にはこだわりません。
例えばキリスト教のシスターであっても、彼女が真剣に愛に生き、孤児などを救うことに献身するなら、神様は応援してくださいます。
もし司祭が権威主義に陥り、間違いを人に教えて支配し、既得権を守ろうとするなら、神はお許しにならないでしょう。
形はどうでもいいのです。
動機が重要です。
その人が何ゆえにそれをしようとするかです。
それが愛からであれば、外見はどうであれ、正しいです。
それが支配や権威主義であれば、どんな正義の外見であれ間違いです。
自分が権威や形式主義に頼らなければ何も問題ありません。
自分を権威に委ねるならばすべて間違いです。
しかし、子供に自分以外の何か外のものに神性を見出し、拝む習慣をつけることはよくありません。
神性は自分の中、魂に宿っているのです。
自分の魂こそ神様から与えられた崇高なものであり、身体はその寺院です。
神性を掘り起こして、発揮すべきはその子自身なのです。
子供の頃から、何か神性を外に見て拝む習慣をつけることは、ただ自分の神性を発見するのを妨げるだけです。
その子が人に貢献したいと愛を感じるなら、それこそ礼拝すべき尊いものです。
それ以上に尊いものなど、この地球には存在しません。
そういう意味で私は、自分以外のあらゆる外に神性を見て崇拝することに反対です。
自分の中に愛、神性を見つけた人は、自分の周囲すべてに神性を発見するでしょう。