ご質問をいただきました。
昨日まで、児童を引率して京都、奈良に行ってまいりました。
修学旅行です。
子供達は自由にのびのびと寺院を鑑賞し、奈良公園の鹿と戯れ、旅館で過ごしている時が、一番イキイキとしていました。 一方で、教師をしている自分の葛藤として、
いろいろなところで、引率者として二列で歩くようバスガイドさんから言われます。 寺に入るまでの道、道中ですが、子供はやはり、誰かと話したい。 自然と列が崩れる。間が空く。
こういうことをしっかりやらせたいという学校の雰囲気もあり、列が崩れるたびに、横に広がるな、 詰めて歩けと言わざるを得ませんでした。といったところで、 すぐに元どおりなのですが。 転勤前の昨年も同じ京都奈良へ修学旅行の引率に来たのですが、
周りにうるさい人もおらず、もっと気楽でした。 特に人に迷惑をかけるわけではないので、 別に完全に二列に歩かせなくてもいいと考え、 そのままにしておきました。 今年は違います。なんだが、
文句ばっかり言っている自分を窮屈に感じていました。本当は、 のびのびとやらせたいのに。 立場上、こんなことを言わないといけない。でも、本心では、
そんなことは重視していない。こういうことがよくあります。 榎本さんはどう考えますか。Yさま(2016年11月17日 8:20)
ああ、私も最近それを経験しましたよ。
秋の遠足です。
子どもたちを引率して先生が歩道を歩かせていたのですね。
結構長いですよ。
それで私もそこは交通量が多いし、自転車通行可の歩道なので、自転車で歩道を走っていたのです。
で、「子供はやはり、誰かと話したい。自然と列が崩れる。間が空く。」状態でした。
それが当たり前ですよ!
それが自然です。
で、私が近づくと先生が「よけてくださ~い。並んで歩いてくださ~い。」と声をかけます。
そうすると広がっていた子ども達が、びよ~んと空間が開いて行くんです。
私がいるところだけ!(笑)
おもしろいですよ。
アメーバみたいで(笑)
私が通ったあとはすぐ広がっていましたよ!
まあ先生もそれを黙認してるんですよ。
指導しているフリをしてるんです(笑)
で私が通るじゃないですか。
そうすると先生が「よけてくださ~い。並んで歩いてくださ~い。」と大きな声で言うんです。
そうしないと、やかましい人が「あの学校は指導がなっとらん!」という人がいますからね。
だから先生も「ちゃんと指導してますよ~」というアピールが必要なんですよ。
そしたら誰も目くじら立てませんからね。
そして大人が誰もいないところではびよ~んと広がっているんですよ!
いいじゃないですか、それで!(笑)
「立場上、こんなことを言わないといけない。でも、本心では、
それでいいですよ。
どこでもそうです。
こちら大分でも、その通りでした。
子ども達もよく知っているんですよ。
普段は元気に友達と話したり、ふざけたりしたいけど、「おっ 大人が来たぞ
ここはひとつ先生の顔を立てよ~」と思ってびよ~んとスペースが開いていくんです。
でも本当は、そんなことは重視していないから、すぐに広がって遊びはじめるんです!(笑)
子ども達はよく知っています。
大人も、先生の立場も、そして自分たちが楽しみながらどう振る前ばいいかということも!
そして大人が来たら「避けてくださ~い。並んで歩いてくださ~い。」と大きな声を出すけど、そうでない時は先生はあまり真剣に注意しないということも知っているのです(笑)
そうでないとき自由に楽しませてくれるから、いざという時先生の顔を立ててくれるんですよ。
四六時中注意してご覧なさい。
もうこんな先生の言うこと聞いてられねぇぜとなったら、大人が来ても先生の注意を無視するようになるんです。
先生の面子は丸つぶれですよ。
恥をかかされます。
街中で指導力のなさをさらけ出させてしまいます。
生徒はざまあみろと思うようになります。
それは先生が生徒のことを考えてくれないから、生徒も先生のことを考えてくれなくなるのですよ。
だから、私は大人が通りかかったときだけ、先生が「よけてくださ~い。並んで歩いてくださ~い。」と大きな声を出し、そうでない時は指導しているフリをして、実際は子供たちが楽しむのを黙認し、大人がいるときだけ、今度は子供たちが先生の顔を立てて「大人のみなさん!先生はちゃんと指導してますよ!」とびよ~んとスペースが開いていくのととても美しいと思いますね。
素晴らしい生徒と先生と大人たちの関係ですよ。
誰も何も問題がないのです!
子ども達はバランスをとる天才ですよ!(笑)