前回の記事で「原爆ドームから徒歩で行ける【この世界の片隅に】聖地(撮影スポット)」を紹介しましたが、今回の記事では原爆ドームから路面電車一本で行ける、すずちゃんの故郷江波の聖地(撮影スポット)を紹介します。
路面電車の「原爆ドーム前駅」で「江波ゆき」に乗車し、終点で降りればOKです。
12分間隔で運行され所要時間は22分。運賃は180円。スイカなど交通カードも使えます。
終点、広電「江波駅」に到着したらグーグルマップを起動して「江波 松下商店」で検索してください。
松下商店をクリックすると、画像は松下商店前を走るすずちゃんと妹のすみちゃんです!(笑)
松下商店までグーグルにナビしてもらってください。
江波駅を出て、最初の角を左手に曲がってまっすぐ行けば「本川」に突き当たり、川沿いに下れば「松下商店」が見えてきますからナビがなくても簡単です。
2019年8月現在、すでにお店は営業されていません。
ここから南に見える高架橋の下を通って、なお川沿いに下っていくと海神宮(かいじんぐう)が見えてきます。
その前が江波港です。すずちゃんがお使いの海苔を持たせてもらったところですね。
以下は昭和42年の同じ場所の写真です。
2019年8月現在こうなっています。
数十年前の日本は、竹などの自然素材が多くて海岸線も美しかったですね(涙)
上の写真の左上の小山が「衣羽神社」であり、すずちゃんが「波のうさぎの絵」を描いたところです。
波のうさぎのエピソード
絵の得意なすずちゃんは、「できた人から帰ってもいい」という学校の絵の課題をさっさと終わらせて、家の手伝いで「コクバ」(焚きつけにする松葉)を集めに行きます。
そこでいつまでも絵が描けずに海を見ていたクラスメイトの水原くんに出会います。
すずちゃん「…… 水原さん …… 早よ 絵出さんといつまでも帰れんよ」
水原「帰らん 。お父とお母が海苔もつまんで飲んだくれとるし 、海は嫌いじゃ 。描かん。」
水原「浦野 、 手ぇ出せや」と言って、長い鉛筆をすずちゃんに手渡した。
この日の朝、すずは母に鉛筆を買うために2銭ちょうだいとねだっているが、兄に
「来週のこづかいまで我慢せえや !」とたしなめられている。鉛筆さえ簡単に買えず、我慢しなけばならない時代だった。それなのに、
水原は「兄ちゃんのじゃ 。ようけあるけえ。」と言う。
水原「うさぎがよう跳ねよる。正月の転覆事故もこんな海じゃったわ ……」
水原「 描きたきゃ お前が描けえや。 このつまらん海でも。」
水原(兄が)「海軍の学校入って 、海で溺れるアホよりゃましかものう。」
昭和13年の正月2日、実際に以下の転覆事故があった。
江田島汽船の宇品-江田島航路みどり丸が年始帰りの客60人近くを乗せて広島県の宇品から江田島へ向かう途中、宇品沖峠島で沈没した。正確な乗客総数は不明だったが、救助されながら死亡した者と漂着死体の合計は32人であった。
別のシーンで、
水原は「兄ちゃんはうちが貧乏じゃけぇ(授業料がかからない)海軍兵学校に入った 。」と言っている。
つまり水原の家は貧乏だったが、兄はよく勉強して江田島の海軍兵学校に入った。
当時の江田島の海軍兵学校は、帝国大学の東大・京大よりも入るのが難しいさえ言われている超難関のエリートコースだった。
正月江波の実家に帰省した兄は、海軍兵学校に帰る船でこの海難事故に遭い亡くなってしまったのだ。
水原家にとって、長男はどれだけ誇りであったことだろうか。
貧しいなかでも長男が勉強するためのお金は惜しまなかった両親。だから、水原は(鉛筆は)「兄ちゃんのじゃ 。ようけあるけえ。」と言っている。
そして、その長男を突然の海難事故でなくした両親は、気力も失って仕事もせずに酒浸りになってしまった。
水原はそんな家に帰りたくなかった。
すずちゃんは海を見ながら「白いうさぎ みたいなねえ ……」と言いながら水原の絵を代わりに描く。
ずずが「できた 」と言うと、水原は戻って来て「集めといたで」とカゴを乱暴にすずの頭の上に乗せた。
水原は絵を受け取ると「いらんことするわ 。できてしもうたら帰らにゃいけんじゃろうが」と言い残して立ち去ってゆく。
集められたコクバ(松葉の焚きつけ)の上には一輪の椿がおいてあった。
現在も江波には、波うさぎの鏝(こて)絵が残っている。
江波では「波のうさぎ」は伝統的なモチーフだった。
波うさぎが描かれた場所は衣羽(えば)神社の「風知りの松」
私は実際に江波を訪れ、波うさぎが描かれたこのエピソードの場所を探してみた。
(この場所をネット上に書いている人はいないので、おそらく私が第一発見者だと思います(笑))
ここです!
今はすっかり埋め立てられていますが、当時はここから先は海でした。
1880年に作成された地図。
この地図南端の「江波公園」で示されている場所です。周囲には「海苔採取地」とありますね。
衣羽神社(えばじんじゃ)のご神木、風知りの松
具体的には衣羽神社(えばじんじゃ)のご神木、風知りの松のある場所です。
強風時に発生する「波のうさぎ」のエピソードとして、「風知りの松」ほどふさわしい場所はないでしょう。
コクバ(松葉の焚きつけ)を集めたエピソードにもぴったりです。
衣羽神社(えばじんじゃ)は江波の名前の由来となった近郊最古の格式高い神社です。
ご祭神は世界遺産の厳島神社と同じ、市杵島姫(いちきしまひめ)など、宗像三女神。
衣羽(えば)とは、天女の羽衣(はごろも)でしょう。
とても美しい名前で、江波よりも衣羽の方がずっといいですね。
最初の女性イブ(エヴァ)にも通じるとても素敵な名前です。
これが衣羽(えば)神社の御神木「風知りの松」です。
これならコクバ(松葉)もたっぷり集められそうです!
椿の意味
さて、水原くんはコクバ(松葉)を集めたカゴを照れ隠しに乱暴のすずちゃんの頭に乗せ、
カゴの中には一輪の椿がありました。
そして水原は「こんな絵じゃあ 、 海を嫌いになれんじゃろうが ……」と言い残して去っていきます。
やがてすずちゃんは18歳になり縁談話がすすみ・・・
「困ったねぇ・・・嫌なら断りゃええ言われても、嫌かどうかもわからん人じゃったねえ・・・」と言いつつ、結婚することになります。
そして結婚式の当日、すずは一輪の椿を髪に飾ってのぞんだのです。
すずが、自分の人生における椿の意味を忘れるはずがありません。
赤い椿の花言葉は、「You’re a flame in my heart」「私の胸の中であなたは炎のように燃えている」です。
「うちは ぼーとしとるけぇ」というすずちゃんですが、内に熱いものを秘めていたのですね。
呉に嫁いだすずちゃんのところに、ある日、水兵になっていた水原が訪ねてきます。
乗艦している青葉が呉に入港したのです。
すずの夫周作は、水原を蔵に泊めて、
すずに「ゆっくり話でもしてきたらええ。もう、会えんかもしれん。」と言って行かせます。
そしてすずは水原にキスされて、
「うちはずっとこういう日を待ちよった気がする。」と言います。
そして水原は
「わしが死んでも、いっしょくたに英霊にしておがまんでくれ。」
「わろうて、
せつないね。
そんなすずちゃんと水原の「波のうさぎ」の思い出の地をぜひ訪ねてみてください。