LINEでご質問をいただきました。
ご無沙汰しております。
なんとも言えない不安感があり、突然ラインさせていただきました。すみません。
なんだか迷っている自分がいます。
自分は何がしたいのか?このままでいいのか?小学校の教師という仕事柄、少しのんびりできる時期となりました。大きな不安もなく、家族も健康で、平和な毎日です。
だからでしょうか、なんだか退屈な思いを持っています。もちろんやるべきことはあるのですが、そういうことではなく、このまま人生が過ぎていってもよいのか。何かもっとやりたいこと、やるべきことがあるのではないかという不安です。
榎本さんのブログを見るにつけ、あちこちを飛び回る行動力に羨ましさを覚えます。
海外ほか、どこかにいきたいという思いはあるのですが、これまでそんなことをしたことがなく、行動に移せません。
海外に行ってみたいなとも思うのですが、1人だと不安、しかし他に行く相手もおらず、家族は乗り気でなかったりもするので。
何が一番したいかと言われると、やはり榎本さんたちのように、遠隔浄化などして人様の役に立ちたいなということ。しかし、うまくできなかった過去があり、自信がありません。おつたえすら、うまくできません。できる人が羨ましい…
漠然と書いてしまいましたが、なんとも言えないこの不安感、どうしたらよいのでしょうか?
お時間のあるときにアドバイスいただけると幸いです。
よろしくお願いします。
なんだか迷っている自分がいます。
自分は何がしたいのか?このままでいいのか?
自分の人生に変化を起こす時
そのようにお感じになるなら自分の人生に変化を起こす時です。
しかし、誰もが「自分は何がしたいのか?」は自分で自分をみつめるしかないんですよ。
喉が渇いて水が飲みたい、体がなまって運動したいというような、ささいなことでさえ本人以外にはわかりません。「自分は何がしたいのか?」は自分が自分に問うべき質問です。そしてその質問には自分以外に誰も適切に答えることはできないのです。
私たちは地球に「経験」するために生まれてきた
このまま人生が過ぎていってもよいのか。何かもっとやりたいこと、やるべきことがあるのではないかという不安です。
ここで大切は視点は、
私たちは地球に「経験」するために生まれてきた、いうことです。
私たちの本質は「永遠の魂」ですから、「私たち自身」が失われるということはありません。そのことについては何も心配いりません。
病室などでの臨死体験をご存知かもしれませんが、永遠の魂である私たちは、肉体を離れても私たち自身の身体を観察したり、嘆き悲しむ家族を観察し「そんなに悲しまなくてもいいよ。」などを思考することできます。
つまり、私たちは、肉体があろうとなかろうと「思考」はできるのです。
しかし、肉体を持っていないとできないことがあります。
それは「経験」です。
肉体がないと、私たちは物質をすり抜けてしまって「経験」ができないのです。
「水を飲む」とはどういうことか、「りんごを食べる」とはどういうことか、肉体を持っていなければ決して「経験」することはできません。
つまり本当に理解したことにはならないのです。
それは一生かかって、あらゆる書物を学んでりんごについての知識を集め、思考し続けても、「りんごを食べる」という経験をしたことがなければ、そんな知識や思考はただのガラクタです。
無意味なガラクタばかり集めていると、自分の魂が感じ取り、地球に生まれた真の目的に方向転換しなさいと教えてくれるのです。
「大きな不安もなく、家族も健康で、平和な毎日」なのに、
「このまま人生が過ぎていってもよいのか。何かもっとやりたいこと、やるべきことがあるのではないかという不安」は、何かもっと「経験」しなさいということです。
経験を逃すことが、人生を逃すということなのです。
ふとしたきっかけでいい
榎本さんのブログを見るにつけ、あちこちを飛び回る行動力に羨ましさを覚えます。
海外ほか、どこかにいきたいという思いはあるのですが、これまでそんなことをしたことがなく、行動に移せません。
ふとしたきっかけでいいんですよ。
私があちこち旅をするきっかけになったのはこの記事ですね。
まだ9年前なんです!
あれから現在までたくさんの旅をしてきました。
誰でも初めての時はあるんですよ。
ダメなら途中で引き返せばいいやと、エイヤ!で旅に出たのです。
この親切な人が多い安全な日本では、途中でやめて引き返せば、何も困ることはないんですよ!
私はこの9年間たくさん旅をしてきましたが、上のリンクの最初の旅が一番きつかった。(笑)
すべてに不慣れでしたが、絶対たどりついてやる!ムキになっていましたからね。
最近は折り畳み自転車だし、景色のいいところだけ走って、暗くなる前に電車に乗り、さっさと宿についてシャワーを浴び、おいしいものを食べに行く「大人じゃん!」の旅が多いです(笑)
たぶん私も当時は「このまま人生が過ぎていってもよいのか。」思ったのでしょうね。とにかく何かしたかった。
自転車の旅というのは「経験」の旅なのです。
自分で漕ぐ、足も疲れて、お尻も痛い(笑)、陽射しを感じ、風を感じ、潮の香りを感じる。
雑踏や、人々の生活を感じる・・・
そういうことが「経験」できることがとても気に入っています。
だから私は自転車の旅が大好きなんだと思います。
どこかにいきたいという思いはあるのですが、これまでそんなことをしたことがなく、行動に移せません。
私も何日かに渡る自転車旅に出る前に、日帰りで何度か近場を走りました。
それで1日自転車で走るってこんなことなんだなと「経験」したんですよ。
私にもステップはあります。
だからとりあえず、まずは近場でどこかに行けばいいんですよ(笑)
海外に行ってみたいなとも思うのですが、1人だと不安
「未経験」のことは不安なものです。私も不安でした。
ですから、私の最初の海外旅行の経験は学生時代のドイツですが、友達と二人で行きました。
飛行機に乗ることはこうするのか(初めて飛行機に乗りました!)。出国するのはこういうことか。パスポートってこんな風に使うのか。両替ってこういうことか。海外で食事するってこういうことか。海外で泊まるってこういうことか。海外で列車に乗るってこういうことか。・・・・
そういう生まれて初めてのことを色々「経験」した。
そうしたら言葉の通じない初めての国でも、バケモノとかまったくいないことがわかった(笑)
どこの国でも、親も子もある人々が普通に生まれ、普通に生きている。
そんな当たり前のことがわかった(笑)
最初は私もまったく未経験で何もわからないから「おいっ!一緒に行こうぜ!」と友達を誘いました。
でも一度ひと通り経験すると、これなら自分でもできそうだなという感触がつかめます。
そしたら一人でも旅できるようになります。
他に行く相手もおらず、家族は乗り気でなかったりもするので。
台湾とかどうですか?
大の親日国ですし、カルチャーも日本統治の影響もあって、日本人にわかりやすいです。もちろん言葉も食べ物も違うので、異国情緒はたっぷり楽しめます。
日本語をしゃべれる人も多いです。
飛行機代も安いですよ。
確か往復で1万5千円くらいじゃなかったかな。
国内旅行よりも安い!
今はマンゴーがうまいから、行って腹いっぱい食ってきたらいいですよ!(笑)
何が一番したいかと言われると、やはり榎本さんたちのように、遠隔浄化などして人様の役に立ちたいなということ。しかし、うまくできなかった過去があり、自信がありません。おつたえすら、うまくできません。できる人が羨ましい…
そりゃ私にしつこく聞かないとダメですよ!
私はもう「みんな違ってみんないい」を地でいっているので、本当に人に干渉しないのです。私は自分の子供にさえ干渉しませんよ!「自分の好きなように生きろ!」以上終わり!です(笑)
でも、あれこれ相談を受けたりすれば、それはやはり自分の知っている限りの最善のアドバイスをします。しかし、それを採用するかしないかも本人の問題なのです。私は自分の子供であれ、誰であれその人の最終的な意思決定に干渉しないのです。
たとえ長男がバリ島で道に迷おうと私は彼の最終決定に干渉しません(笑)
それが「みんなちがってみんないい」なんです。
その人の自分の人生に対する主権を尊重すること。
だから私はウザくないので(笑)、また旅に行こうか、となる。
「みんなちがってみんないい」というのはすごくいい。
私の子供は私がまったく干渉しないので、「自分で生きていくしかない」ということを知っています。
ですから自分の人生を考え、現実を見つめ、どうしたらいいか自分で判断し、自分で行動する。
親としてとても楽です!
「みんなちがってみんないい」ほど、ラクで楽しく、みんなが幸せになれる方法はないのです。
これは私が今生で得た重要な叡智のひとつですね。
何も干渉しないけれど、すべてはうまくいく
「何も干渉しないけれど、すべてはうまくいく」。
まぁ実際にはバリ島で長男が行方不明になったり色々あるんですよ(笑)
でも、それでもすべてがうまくいくのです!
それがわかった。
すべてを信頼して手放していいんです。
「すべてを信頼して手放していい」
「すべてを信頼して手放していい」というのは最高の叡智です。
それでこそうまくいくのです。
私は自分の人生も「すべてを信頼して手放しています」。
そりゃ自転車で旅に出ればお尻が痛かったりパンクしたりすることもある。
それでもすべてはうまくいくのです!
楽しい。
何も問題ない(笑)
自分自身についてもそうだし、子供もそうです。
私は彼らについも「すべてを信頼して手放しています」。
何も問題ない。
いや普通の人が問題にするようなことは起こるんですよ。
例えば海外でバリ島で長男が連絡手段も持たずに行方不明になるとか。(笑)
それでも問題ないのです。
すべてはうまくいく。
自分で解決していく。
「すべてを信頼して手放す」というのは今生私が学んだ究極の叡智のひとつですね。
これは生き方のアートです。
思考が現実化するというのは聞かれたことがありますよね。
「すべてを信頼する」という境地にくつろぐと、「すべてが信頼に応える」のです。
思考は現実化したのです。
信頼したフリとか、信頼している強がりとかはダメですよ。
ごく自然に信頼しくつろぐのです。
この地球や人生には、私たちの予想を超えたものごとがたくさんあるのですから、もうすべて一緒くたにして「すべてを信頼して手放す」のです。
例えば子供のすべてを管理監督することは土台無理なんですね。
ですから「すべてを信頼して手放す」のです。
そうすると子供はその全面的な信頼に答えるのです。
問題行動とか何も起こしませんよ。
親が子供を心配し、信頼してないと、子供は親に心配かけ、不信感を抱かせるのです。それは親の思考が現実化しただけなんですよ。
「力の使い手」さんに対しても「すべてを信頼して手放している」
だから私が子供に対してもそうであるように、「力の使い手」さんに対しても「すべてを信頼して手放している」のです。
相談を受ければ、私のこれまでの持てる知識と経験で全力でアドバイスします。しかし、こちらから「あれはダメ、これはいい」とジャッジし、「ああしなさい、こうしなさい」とあれこれ干渉しません。
そもそも干渉するつもりがないので監視もしない。
もし何か必要があれば質問をしてくる、「便りのないのは元気な証拠」と思っている(笑)
だから、「やはり榎本さんたちのように、遠隔浄化などして人様の役に立ちたいなということ。しかし、うまくできなかった過去があり、自信がありません。おつたえすら、うまくできません。できる人が羨ましい…」ということであれば、私に「どうしてもできるようになりたいんだ!」と深く突っ込まないといけないんですよ。
私はご縁あって遠隔浄化に興味を持たれた方に、ぜひ使いこなしてもらたいと強く思っています。
だからどうすればそれを解決できるのか共に考えることは私の喜びです。
親なら誰も自分の子供に幸せになってもらいたいと強く思っていますよね。それと同じです。
しかし、私は「みんなちがってみんないい」の人ですから、そのトリガーは自分で引いてもらわなくちゃいけない。
子供も親にああしろこうしろ問われるとウザいでしょ(笑)
私は誰に対しても首根っこ捕まえて「どうしてあなたはこうしないのか!」というようなことをしない人なんです。
私にとって「みんなちがってみんないい」ほど大切なことはないからです。
でも初めてことにはやはりいろいろわからないことはもちろんある。
私は遠隔浄化の世界を15年以上も経験しているので、色々アドバイスできます。
ぜひどんどん聞いてください。
食い下がてください。私はぜんぜん嫌じゃない。(笑)
私は誰かに干渉するつもりがまったくないので、そもそも誰かの行動を監視もしていない。
監視する必要があるのは、時に「そんなことはやっちゃダメだ!」というためです。干渉する気があるから監視しているんです。そこにはあなたはダメだ、信頼に値しない、というメッセージが隠れているのです。
だから子供は問題行動を起こす。
親が深いところで自分の子供を信じられないと思っているから、思考が現実化して子供が親の不信にこたえる。
だから子供を終始全面的に信頼すれば、子供は自分が不幸になるようなことをわざわしません。誰もがみんな幸せになりたいのです。
親が干渉するから反発を生むのです。
終始親が子供を信頼し、手離していたら、反抗とかありません。
なぜならすべてが自由ですから反抗する理由がない。
「すべてを信頼して手放す」ということがどれほど強力なことか。
それは子育てでも旅でも人生でも同じですよ。
漠然と書いてしまいましたが、なんとも言えないこの不安感、どうしたらよいのでしょうか?
まずは小さなステップを切って、自分のしたいことを自分に許すということをはじめたらいいです。
誰もが初めてのことは不安です。水泳でも自転車でもそうです。ビート板もったり、補助輪つけたりして徐々になれます。それと同じことを自分がしたい新しいことに対してすればいいのです。
やってみれば、何だ!たいしたことないなぁと自信がついて次はもっと遠くへ行けるようになります。
その繰り返しですよ!