自然の力の伝授者は、自ら「神の裏切り者」となった。

私は「自然の力をただの一度も攻撃したことはなく第3者が検証できることで南さんのいう「上(神)」が、彼のおつたえを通じて何をしたか指摘しているだけだ。

私のブログを通じて相当数の人が伝授者となった。真実を伝えることは私の責任でもある。

自然の力は間違えたとはっきり伝えなければならない。

(現世で間違いを教えたものは、死後そのすべての人にあって、自分の伝えたことは間違いであったと伝え終わるまで、その因果が消えることはない。私は生きている間にそれを伝えておく。それを知ったうえでどうするかは彼らの選択だ。)

私が自然の力をやめるきっかけとなったメールを出してから実際に引退することになるまで数日あった。
そのメールを出した後、最初に粟屋さんから「伝授が切れてますよ」と電話があった。

その電話の後、私は数日間さまざまな「悔い改め」を行うことになる。

最初の粟屋さんからの指摘は「私が伝授者からのお礼(お金)をネコババしているだろう」ということだった。
はっきり言って伝授切れのメールの内容とは何の関係もない。

私はそんなことはしたことがないが、それを証明するのに過去のメールを丹念に検索し、きちんと処理をしていることを示すのにずいぶん時間がかかった。最終的にはきちんと処理していることを示すメールを発見し、それで納得してもらえた。

そんなことはおつたえで確認すればよさそうなものだが、わからないのだろう。

次には粟屋さんは電話で私の問題のメールが自然の力内部のお金の流れを書いた部分があったので、それを税務署が見たらまずいと伝えてきた。それを打ち消すメールを出せという。

その訂正メールを書くのに何度も何度もダメ出しを受けこれにもまたずいずぶん時間を使った。

(もし粟屋さんが誠実な人なら、「ああその通りです」と認めるだろう。もちろんこれも検証可能だ。)

そんなこんなで私の「悔い改め」の時間の大半を使い、最後に越智元子さんを通じて「もう伝授が戻らないと言われています」と日曜日の夕方電話を受けた。それで私は自然の力の引退を決意した。

なぜなら、私の浄化を望む苦しむ人達を数日も待たせていたからだ。
月曜からは私も忙しい、「悔い改め」を続ける時間がとれない。それに一刻も早く彼らを何とかしてあげたかった。

私が自然の力の7年10か月で築きあげてきたものをすべて失うことはわかっていた。

しかし私にとっては「自分が生き残る」ことよりも、苦しんでいる人を助けることの方が大切だ。

たとえ私ひとりが浄化できなくなっても、他の人が彼らを浄化してあげればいい。

だから、引退後の翌朝一番に小川さんに電話して、私の浄化顧問を引き受けて欲しいと依頼した。

しかし、その話はまとまらず、小川さんは「なぜやめる前に私に相談しないのか、私も何度もそういうことがあったが、こうすればやめずに済むのに・・・」とその方法を私に教えてくれた。

結局、南さんを「なきもの」にしているのがいけないので、ちゃんと考えている手の内をすべて南さんに明かし、「次はこれこれをします」「つきましてはこうなります」「お礼はこのくらい持ってきます」ということを南さんにわかるように説明し、土下座して謝れば必ず伝授は戻してもらえるという話だった。なるほどそうなのだろう。小川さんは自然の力で最も長く生き残っている人だ。

私は引退するまでの数日間、自然の力の主だった人とすべて電話で話している。しかし、どういうわけか小川さんとだけは話していなかった。

私もその数日伝授を失うまいと必死だった。もし小川さんにこの話を聞いていたら、その通りやっていたかもしれない。

しかし、どういう訳かその間、小川さんとだけは連絡をとることがなかった。これもお導きだろう。

こうして私は「無事」自然の力を引退することになった。

そして引退して冷静になって考えてわかった。

私の引退に際して、粟屋さんの電話を通じて示された南さんの関心は「お金」に集中していた。
私は、自分の築き上げてきたものすべてを失っても「苦しむ人をできるだけ早く助ける」ことを優先した。

見えない世界では「動機」がすべてだ。

なぜなら肉体のない霊の世界、見えない世界は思いの世界だからだ。
たとえ「私の名前を出したら伝授が切れる」と言って、人にはバレなかったとしても、神様や浄化を司る守護霊団の方たちにはその人の「真の動機」が丸見えだ。

私が自分はすべて失っても、苦しむ人をできるだけ早く助けることを最優先にして行動したことも、
南さんがお金のことばかり周囲の人間を通じて私に伝えていたことも、神様や守護霊団の方たちにはすべてお見通しである。

それで、天からそれをご覧になった神様と守護霊団の方たちは、私に浄化を許された。まして、私にその力を人に伝えることまでお許しになった。

結果がすべてである。

私は、自分はすべて失っても、「苦しむ人をできるだけ早く助ける」ことを身をもって示した。
このことで神様と守護霊団の方々の厳しい試験に合格した。

あそこで、お金にばかり関心を持つ南さんにひれ伏し、すべて南さんの意向通りに動くことを選んだならば、神様や守護霊団の方々が、私に力を人に伝えることをお許しになることは決してなかっただろう。

見えない世界では「動機」がすべてだ。

こちらのブログにも書いたが、

自然の力の南さんの名言に「お金は愛」というのがある。
天光地に行ったことのある人なら南さんの以下言動を何度も見たことがある。

「私はお金を持って来いと言ったことは一度もないんですぅ。
でも私はお金が大好きなんですぅ。
私はお金をたくさん落としてくれる人の後についていくんですぅ。
らんら らんら らん・・・・」と彼は天光地のホールの中をスキップして回る。

そして彼は伝授を3段階に分けた。
得得特別伝授
特別伝授
継続伝授だ。

通常の継続伝授は、伝授料とは別に、毎年一宿一飯の恩義タグを感謝でいただき(もちろんお金を出して)、自然の広場の年会費を払い、顧問の先生に毎月1万のお礼をして(別に毎月1万円台帳顧問のお礼をして)情報を受け取るとことではじめて使える。天光地などに直接出向いてもらう方法もあるが、それは月に3回しかチャンスがないので、上記は伝授者であれば必須となる。

そして、特別伝授や得得特別伝授が使える人は、「もっとたくさんお金を落としてくれる」人だ。

私は現金と高級ワインで上記とは別に10万円相当以上を毎月届けていた。

だから私は、出た直後から「得得特別伝授」が使えると南さんに言われていた。

一般の伝授者さんが、上記を支払い、月2回の大分の豊後高田で第2第4水曜日にある浄化会に参加して、第4火曜日にある温泉ツアーに参加し、そのほか時々全員の「魂」消えたり「ちんちん」が消えたり「台帳」がなくなったりするお礼をしながら、別に毎月に私くらいのお礼をすることは正直なかり厳しいに違いない。

これらを浄化によるお礼で得て「得得特別伝授」を使えるようになるのは、一般の伝授者さんにはかなりハードルが高い。

結局一般の伝授さんはいつまでたってもすべての伝授をきちんと使えるようにならない。
常に劣る存在だ。

南さんは、たくさんお礼をくれる人のために「得得特別伝授」を作ったと公言している。しかし、誰が得得特別伝授を使え、特別伝授が使えるか言わない。すべて「上(神)がしている」という。
結局、お金をいっぱい出せば出すほど(上が)、すごい伝授が使わせてくれますよ、ということだ。

南さんは神様の浄化の力にお金の尺度、資本主義を導入した。
彼の言葉「お金は愛」を文字通り実行した。

しかし、私はイエスの言葉「神は愛」を完全に支持する。

そのことを私は、自分はすべて失っても「苦しむ人を助ける」こと最優先することで身をもって示した。

上っ面の言葉で示したのではない。まさに身を切る選択だった。

どれだけ人知れず涙を流したかわからない。

それなのに「神様の裏切り者」と言われ、悲しかった。悔しかった。

しかし、それをご覧になった神様と守護霊団の方々は、私に浄化とその力を人に伝えることをお許しになった。

私もこの12月で人を浄化し続けて8年になる。

私は自分が自然の力時代よりもはるかに強力に浄化できていることぐらい自分でわかる。

「力の使い手」の方が自然の力の伝授者よりはるかに強力に浄化できていることを知っている。

私が何年、自然の力の伝授者を指導してきたと思っているのか。

まだ自然の力の伝授者にも浄化できている者はいるかもしれない。
神様は慈悲深いからだ。
もしその人を通じて救われる人がいるならば、その人をチャンネルとして使う。

しかし自然の力は今後衰退に向かう。
力も弱くなっていく。

なぜなら、彼らは神様の力に資本主義を導入した者を信奉し、
人を救うことに純粋な動機を持つ者を「神の裏切り者」と呼んだからだ。

しかし、私は神様と守護霊団の方々から明確な支援をいただいている。

その人を救おうと純粋な動機をもち、神様と守護霊団の方々が明確に支援する者を、自然の力の伝授者は「神の裏切り者」と呼ぶことで、彼らは自ら「神の裏切り者」になった。

彼らは大変な因果を作った。

今後は守護霊団は彼らから離れていく。

今後彼らは南さんの言葉「お金は愛」は間違いであり、
イエスの言葉「神は愛」が正しいことを、長い間かけて学ぶことになる。

誰が守護霊団を統率していると思っているのか。

今生でわからなければ、今後何生もかけて学ぶことになる。

今後かれらの力は弱くなり、自然の力も衰退する。

自然の力のピークは過ぎた。

もちろんすべて100%自己責任だ。

彼らは、神の力に資本主義を導入し「お金は愛」とする者を信奉し、
人を救おうと純粋な動機を持つ者を、「神の裏切り者」と呼んだからだ。

そのことで彼らは自ら神の裏切り者となった。

人は自分から出たものを、すべて正確に自分で受け取る。

それが因果応報だ。

例外はない。

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