【人が自由になれない構図】誰かにあれこれ言う人は、必ず相手からメリットを得(ようとし)ている。


> 私は、常に、誰かに依存していたので、そのスポンサーから、うるさく言われて暮らしていました。そして、そのスポンサーのことを気にかけていました。

誰かに依存すればそのスポンサーのことが気になるのは当たり前なのです。

しかし、本当は誰かに依存しないと生きられない自分がイヤなのですよ。

本当は自分の中に秘めた力を発揮して、力強く生きたい、自分の足で立って自立した人生を歩みたいと思っているのです。

そうする!と決意してください。

そうすると神は、それに必要な力を与えてくださいます。

自分がそう求めたからですよ。

「求めよされば与えられん」それが神です。

> ○にはスポンサーとして感謝していますが、過干渉になっていた事に気づいて、そんな暇があったら、自分の事にフォーカスしようと思うようになりました。

素晴らしい気づきですね~

過干渉になるのは必ず「自分が」その人に依存しているからです。

その人が自由に何かをし始めると、このまま依存していられないかもしれない、その思いが過干渉につながるのです。あらゆる世の嫉妬、浮気に対する憤りも同じです。自分の利益が脅かされることに感情が大きく動く根源があります。

人生や世界のあらゆる事例をじっくり観察してください。

誰かに「お前は間違っている」「お前はこうすべきだ!」「正義はこうだ!」「これが世間の常識だ」・・・・という人。

たとえ目上という立場であっても、人をあれこれ裁き、「お前はこうすべきだ」と言う人。

彼らを深く観察してみてください。

必ずそれを言う人の方が、相手からメリットを得(ようとし)ていることに気づくでしょう。

これが世の中の深い構図です。

もしその人が相手に依存し(メリットを得(ようとし))ていなければ「みんなちがって、みんないい。」

あなたはあなたの思うように自分の人生を生きなさい、という思いしか誰に対しても抱けないのです。

人のことをあれこれ言い、特定の行動をさせたい人は、「必ず」そのことによってメリットを得(ようとし)ている人です。すなわち依存している人です。真の意味で相手から自立していない人です。

仮に社会的に目上であってもです。

これが社会の深い構図なんですよ。

だからその人からメリットを得(ようとし)ているから、あなたはこれをすると悪い、あれをすると悪い、こうすべきだ、ああすべきだ!と言いたくなるのです。

しかしその動機の根源は、あなたはその人からメリットを得(ようとし)ており、そのメリットを手放したくないというのが理由です。

自分のメリットのために、その人の行動を監視し、支配しておく必要があるのです。

自分の内面にある力にフォーカスし、自分ばもっと力強くなろう、たくましくなろう、自分の足で立って自分の人生を自分で幸せにしようと思うと、

あなたはあなたで自分で幸せになってね!と思えるのです。

私は私で自分で幸せになるから!と思えるのです。

その人を含むすべての人に対してそう思えるのです。

それが「みんなちがって、みんないい。」という心境です。

それは「そんな暇があったら、自分の事にフォーカスしよう」という気づきが基盤になっているのです。

素晴らしい気づきです。

偉大な気づきですよ!

もし、自分「が」あれこれ言う人がいたらちょっと立ち止まって考えてください。

私はその人の存在に依存していないか、メリットを得(ようとし)ていないか。

もし、自分「に」あれこれ言う人がいたらちょっと立ち止まって考えてください。

その人は私の存在に依存していないか、私からメリットを得(ようとし)ていないか。

かならずそのメリットと依存の関係が見えてきます。

まぁメリットを得(ようとし)続けたい人は決してそのことを認めませんが。

すなわち「あなたのためを思って言っているのがわからないのっ!」と口を極めて言うでしょう。そして、その人もあなたのために言ってくれていると信じています。お互いがその関係にある種の心地よさを感じている時だけその共依存は続きます。

しかし、それは必ず「お前は間違っている」「お前はこうすべきだ!」「正義はこうだ!」「これが世間の常識だ」という相手のメリットのかなうことを自分も受け入れているからです。

そう言われて束縛を受け入れ、相手にメリットを提供することを、みずから進んでしているのです。自らその人の行動を監視され、支配され、相手の意向に従うことを受け入れています。

それが人が自由になれない構図です。

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